高校サッカー部の顧問が亡くなった。
小学生の頃の監督、中学生の頃の監督、
社会人になっての監督など。
みんな久しぶりに会えば、昔の話をしたり、あの頃はお世話になりました。
なんて話をする事もあったけど、
この先生(H先生)とは卒業後に久しぶりに再会しても特に話す事もなく
「うーす」みたいな感じだった。
私はこのH先生が嫌いだった。
小学生の頃からサッカーをやっていたけど、高校ではやらないつもりだった。
それでも一年生の終わりに入部することになった。
入部後に担当してくれた顧問の方は、学生時代強豪校でプレーしていたようで、技術も高く、いろいろなことを教えてくれた。
でも突然、その強豪校へコーチとして復帰することになってしまい、これから色々教わっていこうと思っていた私の気持ちは複雑だった。
それでも部活は毎日続き、翌日から、このH先生が来るようになった。
先輩たちに聞くと、どうやら試合の時だけ来たり、来なかったり。
助言もしたりしなかったり。
みんなの評判はあまり良くなかった。
H先生はサッカーをやったことがなかったらしく、そこまで自分で見本を見せることがなかった。
以前の顧問の先生と比べたり、
サッカーやったことないくせにと思ったり、
なんとなく周りの雰囲気に流されていった。
3年生になるともう一人新しい顧問が来て、その先生はまだ若く、サッカー経験者だった。
それからH先生は継続して部活には来るが発言の回数は減っていった。
私は怪我もあって満足にプレーできない、
思うようにいかない自分に不貞腐れた態度でいたりした。
そのまま卒業して年始の初蹴り行事で会う程度になった。
もう15年近くその行事にも行かなくなったが、5年ほど前に一緒にフットサルをやって仲良くしていた方の息子さんが同じ高校に入った。
夏にOBも来るからと一緒に参加したがH先生はいなく、部活にもあまり来ていない様子だった。
そして次に聞いたのはH先生の訃報だった。
まだ57歳。
当時先生は今の私と同じくらいの年齢。
高校生相手に大人な対応をしていた。
今思えばサッカーも高校生の頃なんて全く理解してなかった。
部活に途中から入った事もあり、最初はH先生の事を素直に受け入れていたし、先輩との試合でも使ってくれた。
でも上手く行かない自分、それを誰かのせいにしたり、尖った自分がいて、周りに流されて、
帰省時に会っても感謝の言葉も言えずにいた。
先生も色々考えながら接してくれていた。
当時地元にあったJFLのチームが解散して、そこの監督と選手を臨時コーチとして連れてきてくれた事もあった。
その選手は今では今シーズンJ1昇格を決めたアルビレックス新潟の監督をされている。
この行動って当時は良い機会だなくらいにしか思ってなかったけど、顧問としては、すごく勇気のいる行動だし、自分のプライド関係なく、生徒の事を考えてくれたんだと思う。
当たり障りないことを言って生徒に好かれるより、
私を一人の人間として見てくれていたのかも。
H先生の言う通り動いてみると上手くいく事もあったし、
自分の戦術、変わった練習方法など特になかったけど、今ある環境、状況での采配は的確だったように思い出す。
私の言動に対しても厳しく接しつつも見守るような、それがなければ最後プレーできない私は途中で辞めていたかも。
今日は最後に感謝の言葉をしっかり伝えてこようと思う。
当時、満足にプレーできなかった自分、
怪我を繰り返して不貞腐れた自分、
最後の一年はサッカーを楽しめなかった自分がいるから、今でもサッカーに取り組んでいるし、
怪我で満足にプレーできない子どもたちを、一人でも多く減らしたいと思えるから、
今は整体師として仕事できていると思う。
私は最後は会うことができなかったが、
会える事ができる人には実際に会って、
自分が違和感なければ付き合っていけば良いし、
周りに流される事なく、想いは伝えていきたい。
奥様と素敵なカフェもオープンしていたようで。
絶対好みの雰囲気なので、今度ゆっくりお邪魔します。
Comments